アクロス・ザ・タイム -第七章-

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第七章

9月20日(土曜日)

「遼一! 起きろ」
「ん? …なんですか?」
「起きろ! 戻る方法がわかった」
「!?」
俺はベッドから慎重に起きあがった。
「早く、地下室に来てくれ」
「わかりました」
俺は着替えを済ませると地下室に向かった。
時計を見ると朝の6:00だった。

……
………
「お前は二つの世界の時間軸がぶつかったときに生まれた時間の隙間にたまたまいたから、こっちの世界に流れてきた。つまり、再び時間がぶつかる時間、そして、隙間が生まれる場所にお前がいればいい」
「でも…それって…。時間軸とX、Y軸…、Z軸とかが合わないと…」
「ほう。お前も大分わかってきたな。その通り。お前が元の場所に戻るためには、双方向の世界のX軸、Y軸、Z軸、時間軸が重なる場所にいなくてはいけない。そのとき、空間のひずみによって生まれる『穴』のような物に飛びこめば、そこは元の世界だ」
「なるほど…。でも、どうやって…」
「心配するな。私のパソコンを使って、その場所を特定する。お前がすんでいたと言う世界の時計と、この世界の時計、後は、今までの時間や空間の歪、その他さまざまな要素を複合して、丁度重なる場所を割り出してやる。しかし、6つの次元を合わせるだけでなく、サインカーブ、コサインカーブの世界だ。いってしまえば二つの6次方程式…又はそれ以上の次式を連立方程式でとかなくては行けない。素数、複素数…いや、それ以上の世界…時空間理論数学の世界。私のPCを持ってしても半月は掛かるだろう。
「それって…。もし演算している間にぶつかる点…共有点を通り越したら…」
「だから、それを考えている最中だ。お前も手伝ってくれ」
手伝え…って言われても…。
静姉さんのPCはTYPE-4-SYSTEM…これ以上のマルチCPUはもう…俺の技術では無理だ…。
今からスーパーコンピューターを注文しても届くのは何ヶ月も先の話だろう。

マルチCPU【まるちしーぴーゆー】・名詞・実在
3つ以上のCPUを搭載したPCの事を指す。
二つの場合はデュアルCPU。

 ふと、頭の中でひとつの事象を思い出した。
 俺が元の世界で参加していたプロジェクトのことだ。
 『UDがん研究プロジェクト』という日本語名を持つそのプロジェクトは、アメリカ合衆国、『Unaited Devices』という会社のシステムを利用する『Oxford』大学、科学部の『がん研究国立基金』の研究だ。『分散コンピューティング』というシステムを用い、世界中のパソコンにソフトを導入し、そのパソコンでたんぱく質の解析をさせる。他のパソコンが処理をしているたんぱく質は自動的に省かれ、まだ誰も手をつけていないたんぱく質を自分のパソコンで処理させるシステムだ。
 メタコンピューターと呼ばれる『複数、多機種のコンピューターが通信網に接続されている環境を利用し、それらをあたかも一つの高性能パソコンに見せかけるシステム』がある。そして、それを応用した『グリッドコンピューティング』は、『何かの解析をしたい人がネットワークに接続するだけで、データが解析されて送り返されてくるようなシステムを目指す』という仕組みで成り立っている。
 世界中に『分散』したコンピューターで『解析(コンピューティング)』させる…。つまり、世界中のパソコンに、一定の命令を送り処理をしてもらう。中央のパソコンはそれを集め、ひとつのデータにする。
 違う言い方をすれば、世界を舞台にした『マルチスレッド』を利用したものが、『UDがん研究プロジェクト』だ。
 このシステムを利用できないだろうか…。
 静姉さんのパソコンをメインパソコンとし、学校のスーパーコンピューターに指示を送る。スーパーコンピューターはサーバーの役目を果たしているから、学校内のパソコンにも指示を送ることができる。学校のパソコンと学校のスーパーコンピューター、そして静姉さんのパソコン…これだけあれば計算はかのうではないか…と。
「どうした? 前橋」
 考え込んでいた俺の顔を静姉さんがのぞき込む。
「静姉さん…このPCって…学校に繋がってるんですよね?」
「あぁ。無許可だが直接専用回線でサーバーに繋いである。専用回線だからファイヤーウォールもないし…セキュリティーは万全だが…」
「ネットワークが繋がっているなら…『分散コンピューティング』処理は…可能ですよね?」
「なるほど…」
「サーバーまで繋がっているなら、スーパーコンピュータには余裕で繋がるはず。専用回線…と言うくらいなのでしょうから、転送速度もかなり出るじゃ無いですか。それにサーバーならば学内のパソコンに指示を送ることも容易なはず…」
「なるほど…流石前橋! 専用ソフトウェアの開発が必要だが、過去に似たような実験をやったことがある。それを応用して…あとは…スーパーコンピュータの設定を少し変えるだけで…なんとかなるはずだ…。すまんが私はソフトウェアの開発に入る。前橋…学校の鍵を預けるから、スーパーコンピュータの設定をしてきてくれるか?」
「わかりました」

 俺は学校に向かう。頭の中でネットワーク構造を思い出しながら…。静姉さんに教えてもらった学校のパソコンネットワーク網。それらを組み合わせ、最適なパターンを組んでいく。
 学校に着いた俺は『パソコン室1』の電源を全て入れた。その数八十台。
 外光によるモニターの見え方の差を押さえるためのブラインドの隙間から光が差し込む。
 エアコンの電源を入れ、熱対策。
 最新のコンピュータを導入しているこの部屋…静かに…だが、確実に可能性が見えてくる。
 スーパーコンピュータの全システムを起動し、静姉さんの言ったとおりにコマンドを入力していく。見なれないプログラムがディスプレイ上に現れては消える。
「オリジナルの…プログラムか…」
 何時か見た静姉さんのパソコンと同じような感じ…これも静姉さんが設計したということだ。
 点検を終え、俺は静姉さんの電話を待つ…。
 学校に着いてから一時間が経ったころ…俺の準備が終わってから十分経ったころ…携帯に着信。ディスプレイには『静姐さん』と出ている。
「もしもし」
『こっちの準備は終わった。そっちは?』
「ついさっき終わりました」
『OK。今からそっちにプログラムを転送する』
 俺の目の前のパソコンに『ファイル転送中』の文字が出現し、数秒後、デスクトップに見なれないアイコンが表示される。
「バグも全部取ってある。あとは、他のパソコンにインストールするだけだ」

インストール
ソフトウェアをパソコンに組み込むこと

「分かりました…ところで…」
『なんだ?』
「どうして俺のいる場所が分かるんですか?」
 俺の目の前のパソコンにだけファイルが転送されてきた。自然にはありえにくいことだ。
『監視カメラの映像をこっちに転送してるからな』
「ぇ?」
「暇そうにしてるんじゃないよ。こっちからも遠隔操作でインストールしていくから、そっちも手動で頼んだぞ」
「了解!」
 いつかの仕事のように俺はパソコン一台一台にソフトを組み込んでいく。一方、静姉さんも同時に遠隔操作でパソコンに組み込んでいく。
 約十分…全ての作業が完了した。
『よし…一括操作をする。パソコンには触れるなよ』
「分かりました」
 全てのパソコンが同時に同じ動きをする。マウスが動き、ソフトを起動する。
『よし…じゃあ、いくよ』
 静姉さんのその言葉で、いっせいに画面に見なれない数字が現れた。
「3.1415926535897932384…。円周率ですか?」
『あぁ…まずはテストってところだ』
 そういえば…俺の世界で日本のあるグループが円周率計算の桁数のギネスを更新したと事を思い出した。この機械なら…超えることができるかもな…。ちなみに、その時は約二十日で一超二千億桁を越えたらしい。
『前橋…これならなんとかなるぞ』
「分かりました」
『おまえもこっちに戻って来い。後はこっちから処理する』
「わかりました」
 …
 ……
 ………
 いよいよ…始まるのか。
 地下室に戻るとそこには既に夏菜さんもいた。
 夏菜さんには実験の内容は知られていないはずだ。
「みんな、大丈夫か?」
「いつでも準備は可能だよ」
「よし。それじゃあ、やるか」
「「はい!」」
「自家発電用発電機、展開」
「了解!」
「作動開始」
「作動、完了!」
「電力供給、開始」
「電力供給、開始しました!」
二人のやり取り。
「テストデータ転送、正常値」
俺の掛け声。
「では、今から双方向世界時空間理論演算を開始する」
「「了解!」」
オールグリーンのランプ点滅と共に、演算が開始される。
静姉さんのPCは消音設計、ほとんど無音に近い状態で演算がこなされていく。
スーパーコンピュータからのデータも順調に届いている。
画面上には双方向世界の座標軸が展開されていく。
「よし。とりあえず、起動に載ったみたいだな」
「お姉ちゃん、はやく朝ご飯にしようよ」
「そうだな」

下では永遠に数式の演算が行なわれている。
俺はやることもなく平凡な時間を過ごしていた。
クーラーのきいている部屋ではそれほど暑さを感じることもない。
そんなことより、俺はこれからどうあるべきかを考えていた。
もし…万が一、共有点が1年後だったら…その頃には…もう世界はない。
それは…俺のせいだ。
俺のせいで二つの『世界』を壊してしまうことになる。
…それだけは…なんとしてでも避けたい。
それに…共有座標がもし北極とかだったら…。
到底、俺は戻ることが出来ない。
その場合も…。
そう…必ず戻れるとは限らない。
戻れない方の確立の方が高いんじゃないか。

どうすれば………でも…どうしようもない…。
俺はただ、運命に身を任せるだけ…。
「ねぇ~」
そこまで考えて、声によって思考を遮られる。
「ん? どうした?」
「考えたって、し方がないこともこの世にはいっぱいあるんだよ。悩んでいる暇があったら、楽しく生きようよ。だから…」
「だから?」
「プールに行こうっ!!」
「はっ!?」

「結局、プールに来てしまった」
「何いまさら言ってるの。ほら、入るよ」
入り口から入り、入場料金を払って着替えるためにわかれた。
「ロッカーは…っと」
ほとんど借りられている。
まぁ…し方がないけどな。
「よぉ、遼一」
「衛さん!?」
「お前、仕事サボって何してる」
「いや…サボってはいないですけど…」
「ふはははは」
豪快に笑う衛さん。
「まぁ、たまには休みたいよな。お互い」
「そ、そうですね」
「ほら、早く着替えろ。まさみも待ってる」
「まさみちゃんも来てるんですか?」
「当たり前だ」
「ほら、早くしろ」
「っと、押さないで下さいよ~」

……
………
「お待たせ~」
プールのヘリで座っていると、後ろから夏菜さんの声。
「いや、そんなんでもないよ」
男の性としていろいろなところに目が行ってしまう。
「さっ、ボーッとしてないで、泳ぐよ!」
後ろから思いっきり押されて、プールに顔から突っ込む。
『ピュー』
出てきたところを、まさみちゃんの水鉄砲で打ちぬかれた。
「卑怯だぞ!」
「まぁ、これがチーム戦だな」
「衛さんまで…」
休日と言うこともあり、プールには人がたくさんいるが、ここのプールはかなり広い。
まだまだ余裕と言うところがある。
「さて、それじゃあ、我々も反撃開始だな」
「衛さん?」
「っと」
水中から巨大な水鉄砲を取り出した。
数年前に流行った『ウォーターガン』を思い出させた。
「衛さ~ん…それ、ずるいですよ~」
夏菜さんの批判。
「巨大な水鉄砲は漢のロマンだ~!」
そうか?
思わず、疑問。
吹っ切れた衛さんがトリガーを引く。
「キャァアーーー」
と言いながらも甘んじて受け止めている二人。
ほほえましい光景だった。
「甘いわよ」
隙を見て反撃してくる夏菜さんとまさみちゃん。
「やられてたまるかっ!」
共同戦線を張って対抗する俺達。
やられそうになると、水中に潜行して、逃げる。
恐ろしい勢いで迫ってくる夏菜さん。
クロール対決!
負けられるかっ!
全速力で水を掻く。
確実に二人の差は広がっていく。
余裕~♪
「…甘いですよ………前橋先輩…」
「のわっ!」
いつのまにか横に並ばれていた。
『ブシュー』
近距離からの攻撃。
撃沈。
沈没。
敗北。

……
………
それから長い間俺達4人ははしゃぎまわった。
衛さんは以外と泳ぐのが苦手~とか、まさみちゃんは恐ろしいほど泳ぐのが早い、というのを知った。
しかし…ここまでやって監視の人に怒られないのが不思議だったりする。
新しい発見があった日だった。
「それじゃあ、またな~」
「それでは…また」
手を振って俺達を見送る二人。
「じゃあね~」
「またね~♪」
それに答える俺達。
…もう…会うことはないかもしれないのに…。

『午後10:30』
つかれて寝てしまっていたらしい。
リビングのソファーの上。
誰も部屋にはいなかった。
「起きたか?」
ドアを開けて入ってくる静姉さん。
「はい」
「そうか。あと2時間ぐらいで演算が終わりそうだ」
「そうですか」
「何、ボケ~っとしてるんだよ」
「いや…」
「ホラホラ、まだ夕ご飯食べてないだろ」
そういいながらキッチンに入ると作り置きの料理を運んできた。
「食え」
「何ですか? これ…」
「お前…知らないのか?」
「いや…見た事もないです」
「まぁ、食べてみろ」
「わかりました」

……
………
「お前、明日はバイトあるのか?」
 食事も終わりかけてきたところで静姉さんが話し掛けてきた。
「はい。今日だけは休みをもらったんです」
「なら、早く起こしても構わないんだな」
「そうですね」
「さてと…それなら私は下に戻る。この時間だとテレビに面白いのがはいってる」
「ありがとうございます」
「いいってことよ。これを見逃したら人間として間違ってるからな」
「了解です」
俺は笑いながら答えた。
『バタン』
ドアのしまる音がして静姉さんが部屋から出ていった。
入れ替わりに夏菜さんが入ってきた。
「間に合った~」
風呂上りのご様子。
濡れた髪をバスタオルで拭きながらパジャマ姿の夏菜さんが近づいてくる。
「テレビ?」
「うん♪ 一一時からのドラマ楽しみにしてたんだ~」
「さっき静姉さんが言っていたものかな?」
「そう、それ!」
 リモコンを操作してテレビのチャンネルを回す。
 丁度オープニングが始まるところだった。
『ReSin-ens』
「ドラマ?」
「うん。感動できるんだよ。主人公が好きになった人を殺してしまう力の持ち主…っていうお話なんだ。国営放送だし知っている人は少ないみたいだけど…。でも…わかる人はわかるって感じがして…。私は好きだな」
「そうなんだ」
「うん。ねぇ、一緒に見ようよ」
「別に、構わないぜ」
「やっぱり、コマーシャルが入らないのがいいね」
「うん」

「この物語…珈琲が関係あるのか?」
 画面では主人公が珈琲を入れるシーンがよく見られる。
「全然~。主人公がコーヒーを飲むのが好きなだけ。…でも…ほろ苦い…所とか似てるかも」
「ほろ苦い…?」
「まぁ、見ればわかるって」
 …
 ……
 ………
 画面では主人公が彼女を腕に抱いていた。ベッドの上にいるその女の人は既に弱っている。お互いに長いキスを交わす…。ゆっくりと主人公が彼女をベッドに戻す。その目は瞑られたままで、もう目覚めることもなく…ずっと…。
 主人公は泣き続ける。まるでそうすれば彼女がよみがえるかのように…。ひたすら…ひたすら…。
 涙の量がその人への想いの印かのように…ずっと…ずっと…。
 …
 ……
 ………
「起きた?」
「ん…」
 目を開けるとさっきと同じ光景。
 テレビがついたままだ。どうやら、ドラマは終わってしまったらしい。
 右の肩がなにかに触れている。ゆっくりと右側を向くと、目の前に夏菜さんの顔があった。
 ふわりと…とシャンプーの匂いがする
 どっ…
 心臓が弾む。
 まだ少しだけ塗れている髪。柔らかい夏菜さんの体…。理想的な曲線を描くそのラインに俺は目を離すことが出来なかった。
 目の前に…夏菜さんがいる。
 目の前に…夏菜さんの顔がある。
 そっと…心を落ちつかせるように…残念な気持ちを押さえるように、俺はゆっくりと夏菜さんから離れた。
「疲れてたんだね」
「あぁ…。ごめんな」
「いいよいいよ。眠気って誰にでもあるものだし。それに、前橋君のそういう、ちょっと抜けてる所、私は好きだよ」
 どうやら違うところに論点が向かっているらしい。
「ドラマ…見れなくて残念だったよ。結局、主人公はどうなったんだ?」
「それは、内緒♪」
「いや…かなり、気になるし」
「見なかった前橋君が悪い」
 そう、笑顔で言った夏菜さんの頬には涙の乾いた跡がある…。
 相当…感動したんだろうな…。
「えぇ~。眠気はし方がないって言ったのは誰だよ」
「それと、これは別」
 『ガチャ』
「よう、前橋」
「静姉さん?」
「結果が出たぞ」
「本当ですか?」
「あぁ」
「後で何が何でも聞き出すからな、覚悟しろよ夏菜さん」
「絶対、教えないもんね」
「じゃ、ちょっといってくる」
「私は、もう寝るよ」
「おやすみ」
「おやすみ~」
そういうと夏菜さんは部屋に戻っていった。
「さて、行くぞ」
「はい」

研究室に戻ると焦げ臭い匂い。
「なんですか? この匂い」
「CPUが焼けた」
「マジですか…」
「流石にな…。リミッター解除だったからな」
「まぁ、すぐにでも直せますし」
「アフターサービス、よろしくな」
「マジっすか」
「当たり前だ。さて、これがその結果だ」
夏菜さんはモニターに向かうと、点を指差し、数値を読み上げた。
「二つの世界の共有点は、座標、 東経139度10分8秒22(ア1秒)、 北緯35度30分44秒19(ア1秒) 時間は、 9月23日、午後1時05分13秒65(ア5秒)」
「その場所と…時間は?」
「データによると、ここの世界で『群馬県朝川市、お前の家の庭』、時間は4日後」
「そうですか」
内心ほっとした。
この時間なら、何とか世界は持ちこたえるだろう。
「そして、ついでの計算で、お前がもしこの世界にいたとしたら何日で崩壊点を迎えるか計算したところ、9月38日の午後だ」
そんな計算は聴いてもし方がない。
「まぁ、これで一安心…ですね」
「そうだな。かえる準備をしておけよ」
「静姉さんに…お願いがあるんですけど…」
「なんだ?」
「このこと…帰る日は夏菜さんに教えないでくれますか?」
「…まぁ、いいだろう」
「ありがとうございます。最後まで普通でありたいんで…」
「そうか。そういえば…」
「何ですか?」
「あまりにも事態が進行してしまった後だからな…もしかしたらお前だけでは…」
「どういう意味ですか?」
「いや、何でも無い。それより、法則性は無いが、予想だとこれ以上の時間ベクトル異常停止現象は起こらないだろう」
「そうなんですか?」
「あぁ。今の様子を見る限り、それが起こったとき世界は破滅しているからな」
「はぁ」
「安心しろ。お前はその前に元の世界に戻っていて、両方の世界の時間軸は元通りだ」
「わかりました」

9月21日(日曜日) <残り3日>


「ふぅ~」
少しぬるめの風呂。
俺が1番最後だ。
あまりにもぬるくなっていたから、温めなおして、今入っている。
「今日が…最後の週末か」
もうすぐ、全てが終わる。
俺は、迷惑をかけることなく、元の世界に戻れる。
全ては元に戻り、俺は、こっちの世界にいなかったことになる。
俺は…戻らないといけないんだな。
俺は…こっちの世界にいる人間じゃないんだな、やっぱり。
そう考えると、少し寂しい気がする。

戻る方法がわかった今…全ては元に戻る。
そう…、たったそれだけ。
なんのためらいもないはずなのに…どうしてこんなに悲しいんだ。
どうしてこんなに寂しいんだ。
元の世界にいなかった、『友人』…と呼べる人が出来たから?
確かに…渉や衛さん…店長もいる…。
だけど…何か違うこの感じ…。

……
………
『好きな人』が出来たから…。
そうなんだろうか…。
本当に『失うのが怖い人』が出来たから…。
一生、一緒に過ごして生きたい人が出来たから…。
でも…その人は…?
………………………時ノ沢…夏菜………。
俺の中にはっきりとその人の名前が浮かぶ…。
好き………だったんだ…。
いつも通り過ごしていたけど…俺は時ノ沢さんのことが好きだったんだ…。
そうだ…考えてみれば…そうなのかもしれない。
でも…時ノ沢さんは?
………
………………
………………………
「美味しい」
「ほぉ~」
「へぇ~」
「うむ。結構行けると思うぞ。ただ、甘い物が苦手な奴には無理だな。それと、蜂蜜と胡瓜をメロンだと言い張れる奴じゃなきゃ理解できないと思うぞ」
「それって…微妙な味じゃないのか?」
「いや、そんなことはない!」
「それじゃあ、今度私たちの分も作ってよ♪」
………………………
「そうか…。それじゃあ…前橋の新しい第一歩に乾杯」
「ありがとうございます」
「乾杯」
聞き覚えのある声。
「夏菜さん?」
俺は声のした方を振り向いた。
案の定、夏菜さんが居た。
「聞いたよ」
「全て?」
「うん♪ これからよろしくね」
「あぁ…」
「まぁ、私達のことは新しい家族だと思って接してくれ」
「分かりました」
「改めて、前橋君…よろしく」
「あぁ、よろしく」
………………………
ベッドから思いっきり起きあがる。
「きゃ」
短い悲鳴が聞こえた気がする。
その反動でベッドから転げ落ちる。
『ズムッ』
予想外の床の柔らかさ。
「う゛ぅ~」
下から情けない悲鳴。
俺は視点を下に向ける
夏菜さんがいた。
「のわっ!!!」
どうやらベッドの側にいた夏菜さんを押し倒してしまったらしい。
「ごっ、ごめん!」
つーか、かなり恥かしい。
「前橋!」
電話の奥から聞こえてくる声に気がつき俺は耳に当てた。
「朝から卑猥なことは好いけど、電話は切ってからにしろよ」
「何もしてませんって!」
「じゃあ、どうして悲鳴が聞こえる」
「うっ」
「早く降りて~」
「あっ、ごめん」
俺は夏菜さんの上から急いでどいた。
「べっ…別に私はいい……け……ど………」
電話の音にかき消され、ただでさえ低い声はよく聞こえなかった。
目の前には顔を赤くしている夏菜さん。
………………………
姿勢に違和感を感じて首を動かす。
首の辺りに何かが触れる感触。
「!?」
「どうしたの?」
夏菜さんに寄り掛かっていたらしい。
「ごめん」
「いいよいいよ。眠気って誰にでもあるものだし」
どうやら違うところに論点が向かっているらしい。
「ドラマ…見れなくて残念だったよ。結局、主人公はどうなったの?」
「それは、内緒☆」
「いや…かなり、気になるし」
「見なかった前橋君が悪い」
「えぇ~。眠気はし方が無いって言ったのはだれだよ」
「それと、これは別」
………………………
………………
………
何てことだ…。
なんで俺はこんなに鈍感なんだ。
自分に腹が立つ。
でも…何も変わらない…。
全てが元に戻るだけ。
時空の流れが正常に戻ったとき俺はこっちの世界では始めからいなかった人間になる。
全ての中の人の記憶から俺が消える。
渉でも…衛さんでも…店長でも…静先生でも………時ノ沢さんも…。
全て…俺のことを忘れてしまう。
もともと…俺がこっちの世界にはじめからいる存在になっていたけど…もとに…戻るだけなんだ。
始めから俺はいなかった人間に戻るんだ…。
俺の中の記憶は残るけど…こっちの世界の記録には残らない…。

……
………
視界が滲む。
何てことだ…俺が…泣くだと…。
これほど…独りになるということが怖いと思ったことはない。
確かに、俺は昔から独りだった。
そして、回りに要らぬ心配をさせないために明るく振舞ってきた。
今、俺は新しい世界にいる。
新しい自分を見つけた。
失う物は何も無かったはずなんだ…。
だけど…俺は…失う物を見つけてしまった。
決して、無くしたくない物を。
それは…俺の中で大きくなっていく。

二つの道がある。
夏菜さんと一緒に過ごす。
夏菜さんを守るため自ら身を引く。
俺は…。
俺は………。
彼女と一緒にいるだろうか…たとえそれが相手を失う結末だとわかっていても………。
彼女から離れるだろうか…たとえそれが永遠の別れだとわかっていても………。

気がついたら好きだった。
彼女も俺のことが好きだった。
そしてそれに気がつくのが遅すぎた。
お互いのことが好きなのに…。
選べる道は二つのうち一つしかない。
所詮ただの人間…。
時間に身を任せることしか出来ない人間。
これが運命だから…。

俺は…。
俺は…。
………大切な物を………守りたい。
自分のせいで他の人を…巻き込むわけにはいかない。
やっぱり…俺は…もとの世界に戻る!
大切な物を失うことになっても…俺はそれを遠くから見守っていきたい。
触れる事や、話しかけることが出来なくても………。

9月22日(月曜日) <残り2日>

ゆっくりと、しかし確かに時間は流れていく。
午後特有の眠気に誘われながら、俺は授業を受けている。
隣には夏菜さん。
前には渉。
今思えば、こんな人達が欲しかったのかもしれない。
でも…それは空夢事。
決して叶わない願いだった。
他の誰もが手にしているもの…。
俺が持っていないもの。
…だめだな…俺。
………屋上か…。
そこがいい。
ここだと、どうしても暗いほうに考えてしまう。
街の景色を眺めながら考えよう。
これから、俺がどうあるべきか。

屋上
既に数時間が経っている。
夕日が傾き始めている。
夏…と言うこともあって、時間もいい頃になっている。
まだまだ、暖かい。
『ガチャン!』
ペントハウスのドアがしまる音。
「よっ」
渉がいた。
「よっ」
感づかれないように極力いつも通り返事をした。
「へぇ~。それで心を隠したつもりか?」
「!? どういうことだ…?」
「お前なぁ。俺が気がつかないとでも思ったか?」
「何に」
極力隠しつづけることにした。
「俺達は、そんな仲だったのかよ」
いや…。
違う。
俺達は…少なくとも俺にとっては、渉は親友だった。
「いや…、違う…」
「だろ?」
こいつになら………。
俺の気持ちがわかるかもしれない。
だけど…。
「なぁ、遼一」
「ん?」
そこまで考えて遼一に呼ばれる。
「全てを話せ…とは言わない。だけど…少しぐらい教えてくれてもいいじゃないのか? 俺達は…互いにまだ隠している部分がある」
そう…。
渉は屋上によく来ているらしい。
そして…、考え事をしている。
こいつなら…こいつなら…。
俺にとってのはじめての親友。
心を割って話せる人。
渉になら…。
「なぁ…渉」
数刻の後、俺はゆっくりと、言葉を選びながら渉に話しかけた。
「どうした?」
渉は手をベンチの方へ向ける。
俺達は隣同士、屋上の上に備え付けられているベンチに座った。
既に、直射日光に何年もさらされているのだろう。
防腐剤などの表面のコーティングははがれ、ぼろぼろになっていた。
座った瞬間、『ギィ』と木のきしむ音が鳴った。
「お前…独りの気持ちってわかるか?」
「………あぁ。………最後まで話してくれ」
「人間って、独りじゃ生きられないものなんだな? この世に最低でも一人は自分のことを知っている人がいる。だから…自分のことを誰も知らない…忘れられたという事はその人が死んだと言うことなんだよ。人間は二回死ぬ。一つは、魂の消滅。もう一つは、記憶からの消滅。人間が本当に死んだのは自分が忘れられたときなんだよ」
渉は驚いたような顔をしたが、すぐに元に戻った。
「何のために俺にそんなことを聞かせる」
渉の質問。
「それは…」
「不安なのか?」
鋭い指摘。
「忘れられることが」
不安だ。
俺はもうすぐ、この世界から…この世界で死ぬことになる。
「お前に何が起きるか俺にはわからないし、お前が知っていることも聞かない。だけど、これだけは言える。俺は、お前のことは絶対に忘れない。たとえ、何があっても。この肉体が滅びない限りな」
「…ありがとう」
「実は、俺も過去に色々あった…聞きたくないかもしれないけど聞いてくれ」
「あぁ」
「昔、クラスに女の子がいた。かわいくて、優しくて…俺にとっていい『友達』だった。でも、病気がちで入退院を繰り返していた。そんな中でも、俺は誕生日プレゼントをもらった。とても嬉しかった。でも…俺はお返しをしなかった。その直後、彼女は入院した。いつものこと…彼女も心配しなくてもいいと言ってくれた。しばらくして、彼女は帰ってきた。中学1年生を終えるまで、俺は彼女と気楽に話せるまでになった。朝、二人だけの教室でのお喋りは楽しかった。中学2年生になって、クラス替えがあり、別々のクラスになった。離れるとわかるんだよ…。その人のことが好きだと言うことが。彼女は入院して学校にきていなかった。だから俺は、彼女のロッカーに誕生日プレゼントをいれた。去年のお詫びをしたメッセージを添えて…。退院して帰ってきたらわかるようにと。だけど………その後俺は一度も彼女に会う事はなかった。高校に入ってから彼女が死んだことを知った。入院しているのも知っていたし、卒業したら手術を受けるということも知っていた。だけど…だけど………俺はお見舞いにも行かなかった。既に、葬式も終わっていた。俺は両手に抱えるぐらいの花束を持って彼女の家に行き、手を合わせた。家に帰ってきたから泣いた。思いっきり泣いた。こんなにも涙が出ることをはじめてしり、失う哀しさを知った」
そこまで渉は言い終えると、一息ついた。
………人を…失う悲しさ。
それが伝わってくる。
「悔やんでも悔やんでも…意味は無い。好きだったのに、告白も出来なかった………。だから…俺は誓うことにしたんだよ。彼女のことをたとえ、他の人が忘れたとしても、俺は自分の肉体が滅びるまで彼女を覚えている。そうすれば…彼女はまだ生き続ける。ここの屋上によく来るのは、彼女のことを記憶から消さないため」
「そうだったのか…」
「まぁ、ただ聞いてもらいたかっただけだ。また、お互いの距離が一歩近づいたな」
「あぁ」
「それじゃあ、俺はそろそろ戻るよ」
「おう」
「じゃあな」
渉は手を振って、扉を開き、階段を降りていった。
「渉…」
………でもな…絶対忘れない…なんて…お前は無理だよ…。
必ず…俺のことは忘れる運命だから…。
どうしようもない事実だから…な。
でも………ありがとう。

9月23日(火曜日) <残り1日>

けっしん【決心】
心を決めること。自分の考えを決めて覚悟すること。
また、その心。決意。「固い決心」
Kokugo?Dai?Jiten?Dictionary.?Shinsou-ban?(Revised?edition)?
Shogakukan?1988/国語大辞典(新装版)小学館?1988

放課後の屋上
「夏菜さん…」
「はい…」
昨日、渉と会話した場所。
そこに又、俺はいる。
相手は違うけど…。
………
………………
………………………
「前橋…明日は最後の日だ」
「はい」
「楽しめ。門限は無しだ」
「わかりました」
「最後ぐらい…、自分の想いをつら抜けよ」
「はい!」
………………………
………………
………
お互い頬を赤らめ対峙する。
ゆっくりと俺は口を開く。
「ずっと、………ずっと…好きでした」
「はい…」
「だから………付き合ってください」
渉…の言葉の続き。
『想いというのは相手に伝えなければ意味が無い。』
『自分の中だけにしまっておくと、必ず後悔する。』
「………はい!」
俺にとっての最後の1日がいま、本当にはじまった。
「それじゃあ…私から…遼一くん…で…いいかな?」
「あぁ。俺も…夏菜…って…呼び捨てでもいいか?」
「うん♪ ありがとう! 私も…前橋…遼一くんのことが好きだったんだよ。こう見えても引っ込み思案のところがあるから、なかなか伝えられないけど…」
「俺も…つい最近気がついたんだ。それが間違えだとしても…それでもいい。その場合は、ここで終わっていたからね」
「うん。でも…私達はここから動き出す。ずっと私達は恋人でいようね♪」
「あぁ」
でも…それも明日で終わりだと、俺は言うことが出来なかった。
「それじゃあ、何処に誘ってもらえるの?」
「そこまで考えていなかった…」
「じゃあ、いつもどおりでいようよ」
「そうだな」

それから俺達は恋人のように…いや…恋人同士として楽しんだ。
俺は夏菜を自分の家に招待した。
最後に…俺の住まう場所を見て欲しかった。
これが…最後になるから。
明日になれば、彼女がここに来ることは無い。
家の存在が無くなるか、誰か違う人がここにいるから。
「ちょっと、埃っぽいかもしれないけど」
「ううん、大丈夫だよ」
『ガチャ』
予想より部屋の状態は綺麗だった。
「片付いているね」
「まぁ、最近は使ってなかったし。う~ん…クッションも無いし…ベッドにでも何でも腰掛けて」
「それじゃあ、遠慮無く♪」
そういうと、彼女はベッドに腰掛けた。
俺は机の椅子に座る。

沈黙。

こういうときは人は、何を話すんだろうな。
不覚にも俺には彼女がいたことは無い。
そんなのがわかるはずが無い。
「くすっ。なんか、いまさらって感じだね」
「何が?」
「いつも通りでいいじゃない」
「そうだな」

……
………
それから俺達は何気無い会話をして過ごした。
夏菜の表情は面白いほどに変わっていった。
時には笑い、時にはボケたり…。
ドラマの話や、俺がもといた世界の話。
長いようで、短い時間が進んでいく。
ニ三時00…後一時間。
今日が終わる。

再び沈黙…

「ねぇ…」
「? どうした?」
今日聞いた事が無いぐらいの低いトーンの声。
「どうして…どうして…教えてくれなかったの?」
「何の事?」
「しらばっくれないで。今日で終わりって…どうして言ってくれなかったの?」
「なっ! どうして…それを?」
夏菜の顔を凝視する。
「遼一君………いつも肝心なところは私に隠している。その気が無くても私には伝わる。決して人とは深く付き合わない。最近になってそれも無くなってきた。でも…結局…私には教えてくれなかった…本当の事」
「それじゃあ…夏菜は本当の事を知っていたけど、俺に調子を合わせていてくれたのか」
今度はお互い見つめ合う。
「夏菜は…本当に優しい人なんだな」
心から言う。
「ありがとう」
「本当に…最低ね」
「ごめん」
「私は、そんなに信用できない人ですか?」
「いや…そんな事は無い」
「それじゃあ…それを―――」
そこまで言って夏菜は俯いた…。
「ねぇ…」「ねぇ…」
二人の声が重なる。
「一緒に…言ってみよう」
俺の提案。
「うん」
『ふぅ~』
息を吐き出す。
再び、息を吸って…
「これが…最後なら…もっと…身近な人になりたい」「俺…もっと夏菜の事が知りたい」
お互いが言った言葉に赤面して俯く。
「初めて…だからね」
「俺だって…そうだ」
「うん。………よろしく」
「わかった…。出来るだけ頑張る」
 俺は彼女をゆっくりとベッドに寝かせた。
 小さく、早い夏菜の鼓動が俺に伝わってくる。
 静かに…そして…力強く俺は夏菜を抱きしめた。

ニ三時五十分
 もうすぐ、今日も終わり。
 ベッド上に二人並んで座っている…。
「…」
「…」
「夏菜…」
「なに?」
「ありがとう」
「どうしたの、遼一君? あらたまって」
「とにかく…ありがとう」
「うん♪ どういたしまして。私こそ………あり…が…とう」
 明らかに嗚咽の音が混じった声。
 夏菜は既に涙目だ。
「私…いやだよ…別れるなんて」
「俺もだ…」
 彼女が背中に手を回してくる。
「俺だって…いやだけど………」
「わかっ……て、る…。戻ら…な、いと行、け……ないのは………だ…けど」
 だけど…その続きを夏菜は飲み込んだ。
 夏菜は…何処まで知ってるんだろう。自分の記憶がどうなるか…知っているのだろうか。
 流れでる光。
 それを………止めたくて…そんな顔を見たくなくて…俺は…夏菜を抱きしめた………。

 ゆっくりと…確実に時間は流れていく…。
 夏菜の震えも収まり…俺はそっと力を緩めた…。
 夏菜は俺を見つめる。
 俺はその目を見つめ返す。
 ゆっくりと口が開き…夏菜が言った言葉は…別れを意味していた。
「………遼一君。本当にありがとう…そして………さようなら」
「………うん」
 夏菜さんを見ている俺の目。その視界もやがてぼやけてくる…。
 上を向いて、涙をぬぐい、
「送るよ」
 俺は精一杯の笑顔で言った。
「うん」

 階段をゆっくりおりる。
 夏の気配はまだ終わらないが、確実に秋は近づいている。
 ドアの曇りガラスの向こうは漆黒の夜。
 時は流れた…。
 二十四時。
 シンデレラの魔法は解けた。
「前橋君…さようなら…」
「夏菜さん…さようなら…」

 最後に夏菜さんは笑ってくれた。
 だから、俺も精一杯笑って返したつもりだ。
 たとえ…それがゆがんだ笑顔でも…俺は…俺と夏菜さんは…精一杯の笑顔でわかれた…。
 二つの選択肢…。
 相手を失うという結末。
 永遠の別れという結末。
 俺は…『永遠の別れ』を選んだ…。だって…そうすれば…夏菜は…こっちの世界で生き続けるから…。

9月24日(水曜日) <最後の日>

「準備は…いいか?」
「はい」
夏菜さんには昨日の夜から会っていない。
これで…いいのかもしれない。
別れが辛くなる。
「それじゃあ…あと5分だ」
「はい」
俺の家の庭。
俺はここの世界にきたときの服装でいた。
そして、そのときを待つ。
「思えば…いろいろあったな」
「そうですね」
「私も、色々楽しかったよ」
「俺もです。おかげで色々知ることが出来ました」
「別れ…の挨拶は済んだか?」
「夏菜さんだけは…」
「そうか」
「はい」
「私には、君を元の世界に戻すことしか出来ない」
「それだけで、十分です」
「本当は…お前にとっても、夏菜にとってもこっちの世界に居た方がいいんだろう」
「…」
「でも…やっぱり、難しいんだな。元が同じ世界だとしても、わかれてしまったら、それはもう二つの固有の世界。決して交わることは許されない」
「はい」
「さぁ、もうすぐだ」
「そうですね」
「最後に一つ…言いたいことがある」
「なんですか?」
「お前の居た影響はあまりにも大きすぎる。そして…もしかしたらその影響はそっちの世界にも及んでいるかもしれない」
「どう言うことですか?」
「まぁ、一瞬だが、世界が交わるわけだ。何かが起こってもおかしくない」
「その影響が、俺の移動ですけどね」
「そうだな」
「あと一つ。お前が移動した影響が大きすぎた場合…時間の流れを補正することができないかもしれない…」
「そんな…」
「安心しろ。私がこの世界で頑張る。だから、時計だけは預けてもらえないか?」
「わかりました」
俺は腕時計をはずした。
「残り…54秒」
「夏菜さんは?」
「今ごろ学校だ」
「そうですか…。もう一度あって、きちんとお別れをしたかった」
「そうか…」
「はい」
「さぁ、そろそろだ」
「はい」
「時間が交わっている間は僅か20秒も無い。そして、お前が戻るのは2002年9月10日、夜中の3時。瞬間的にお前は時間の流れに載り、普通にその日の朝、目を覚ます。そうすれば、元通りだ」
「はい」
「それじゃあ、…3…2…1」
予想通りの地点に暗黒のホールが展開された。
「行け!」
「さようなら!!」
俺は意を決して穴の中に飛び込んだ。
一瞬、静姉さんの顔が見えたが、直後には深淵の世界に落ちていった。
ありがとう…そして…さようなら…。

初出: 2003年2月**日
更新: 2005年2月5日
原作: 鈴響 雪冬
著作: 鈴響 雪冬
制作: 鈴響 雪冬
Copyright © 2003-2005 Suzuhibiki Yuki

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