アクロス・ザ・タイム -第二章-

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第二章

8月39日 月曜日

学校の教室…現国の授業。
俺は授業には参加していなかった。
…ここにきて一週間経つのか…。
もうそんなに経つんだな。
そんなにたっても何も自体は進展していない。
それどころか俺はすでにこちらの生活に慣れ始めている。
あっちでも両親とかはいなかったし…。
そんなに気の合う友人がいるわけでもなかった。
だからなのか。
俺がこっちにもすぐ馴染んだのは。
たとえ変わっても俺の生活にはほとんど関係無い。
そう言うことなんだろうか。
でも…戻らないと…行けないんだろうな。
あっちの世界と今の世界…どんな関係にあるかはわからないけど…。
戻らないと行けないんだろうな。

……
………
以上ナーバスな俺でした。
はぁ…シリアス…っていうのもハードボイルドな感じがしていいねぇ…。
思わず自分に惚れて見る。
『バシッ』
「ぬぉっ!何するんだ」
小声で隣の奴に抗議する。
「授業中、にやけないで。怖いから…」
どうやら時ノ沢さんを怖がらせてしまったらしい。
「きにするな。考え事をしてただけだ」
「そう?」
「さて、真面目な俺は勉強でもするよ。時ノ沢さんも勉強しな」
そう言うと俺は黒板をノートに写していった。

情報処理技術基礎の授業
こんなのは先生の話しを聞かなくても大丈夫だな。
あとから黒板を見て知らなかったことを書き写せば俺はOKだ。

一週間経ってでた俺の結論。
やっぱりここの世界と俺のいた世界の関係がわからない。
誰かに聞く…そんなこと…出来るわけが無い…たとえ言っても信じてもらえられないだけだ。
それなら…誰にも言わない方が良いに決まってる。
これは俺の中に閉じ込めておこう。

科学
「そして分子と分子が結合することによって…」
前のほうから聞こえる先生の声。
はぁ…。
眠い。
6時間目…だからな。
寝るか…。
俺が机の上を整理し始めると・・・
「ちょっと、前橋君」
「どうした?」
「寝ちゃだめだよ」
「寝させてくれ…。それがだめなら俺に面白い話しでも聞かせろ」
「むむむ…。わかったよ。面白い話ね?」
しかも乗りますかあなたは…。
「表面張力って知ってる?」
「あぁ、水分子の結びつきの説明には持って来いの話だな」
「それで表面張力で水が盛上ってるときにコインを1枚づつ入れてくの」
「あぁ。どこぞの映画の最後のシーンだな」
「それでね、コインを入れてついに水が溢れたとき溢れた水の量は、
 最後に入れたコインの体積より多くなるんだよ」
「だから?」
「不思議だね…って」
「お休み~」
「えっ、えぇ~」
………
……

夢の中。
「なぁ…これって食べれるのか?」
「僕が食べたときは美味しかったよ♪」
「そうか。頂きます」

「…(ワクワク)」
「不味い」
「えぇ~。絶対味覚狂ってるよ」
「お前…このサンドイッチの間に挟まってる物はなんだ」
「『カスタードクリームコロッケ』♪」
その瞬間俺の味覚を変な感覚が襲う。

……
………
「うわっ!」
突如夢から引き戻される。
はぁはぁはぁ…。
カスタードクリームコロッケ…。
「どうしたの?夢でも見た?」
「あぁ…怖かった」
「妖怪とか?」
「いや…ある意味それを超える怖さだった」
「授業中に先生の声を子守唄にして寝るからだよ」
「あぁ…俺もそう思う。次からは寝ないようにする」
まさかこの間、衛さんから借りた同人サークルの『雪解け水』の小説がここで出てくるとは…。
でも…美味しいかも…実際作ってみると。
次、作ってみよう!

8月40日 火曜日

目覚めは最高!
テンションも高い…。
うむ、今日は良い1日になりそうだ。
「さて、起きますか」
朝ご飯を準備して、昼の弁当を作る。
「えっと…少し硬めに作った方があとあと楽だよな」
昼の弁当に初めてのメニューを試すため、いつもより1時間も早く起きた。
でも、良い感じだ。
「卵、卵~♪」
「パン粉、パン粉~♪」
鼻歌交じりに材料を探す。
はっきり言って怪しい人という次元を通り越している。

うむ。素晴らしい出来た!
あとは、箱に詰めて…。

……
………
俺は家を出た。

4時間目
はっきり言ってこの時間の体育は死ぬ。
お腹空いた。
「よっ」
「!!」
いきなり肩を叩かれて俺は驚く。
つっても、このクラスで俺に話しかけてくる奴は男で一人しかいない。
「んで、どうした暇人」
「いや、お前に言われたくないんだが…。先生から呼び出した」
「はぁ?」
「試合に参加しろ…だって」
「わかった。俺はどっちのチームに入れば良いんだ?」
「俺と同じだ」

……
………
『ピピーッ』
「38対45。竹中チームの勝ち!」
体育の先生の声。
全員でハイタッチを交わす。


「今日の体育、二人ともカッコよかったよ♪」
「まぁ、これが俺たちのチームワークというところだ」
渉が鼻を高くして言う。
へし折ってやろうか、貴様。
「いただきます」
俺は弁当の蓋を開ける。
まぁ弁当…というより遠足に使うネットボックスみたいな物だ。
「へぇ~今日はサンドイッチなの?」
時ノ沢さんが珍しそうに弁当箱を覗き込む。
「あぁ、興味があったメニューを作ってみた」
「中身はなんなんだ?」
「中身か?聞いて驚くな」
俺は間を空ける。
「『カスタードクリームコロッケ』」
「ほぉ………って。おい!」
「どうした?」
「コロッケ…じゃなくって、カスタードクリーム?」
「あぁ。新触感宣言ってやつだ」
「それって…美味しいの?」
「これからわかる」
一口食べてみる。
8つ切りのパンの味から次に表れる香ばしい油で揚げられた衣。
そのやや硬い触感を越えると次は甘く柔らかい感覚。
う~ん。
「美味しい」
「ほぉ~」
「へぇ~」
「うむ。結構行けると思うぞ。ただ、甘い物が苦手な奴には無理だな。
 それと、蜂蜜と胡瓜をメロンだと言い張れる奴じゃなきゃ理解できないと思うぞ」
「それって…微妙な味じゃないのか?」
「いや、そんなことはない!」
「それじゃあ、今度私たちの分も作ってよ♪」
「えっ、時ノ沢さん…私『達』って…」
「当たり前じゃない、向井君も食べるの」
「…」
「わかった。そのうち作ってきてやる」
「ありがと♪」

8月41日 水曜日

『バフッ』
俺はベッドに飛びこんだ。
仰向けになって天井を見上げる。
電気を消した部屋。
開いているカーテンから僅かな光が入ってくるだけの部屋。

すでに9日目。
何ら事態は変わっていない。
俺は…どうすればいいんだろうな。
目の前には二つの道。
このままこの世界に居座る、もとの世界に戻る方法を考える。

どうすればいいんだろうな、俺は。
俺は…どっちの世界にいようと思っているんだろう。

ましてこの世界すらわからないのに。
この世界がいったい、何処で、いつで、何なのか…全てがわからないのに…。
もしかしたらこっちが俺がいるべき世界なのかもしれないし、
昨日までの世界が長い夢だったかもしれない…。
わからない。
誰かに相談してみるとか?
………いや信じてくれるはずがない…。

だめだ…。
今日は寝よう。

8月42日 木曜日

「おはよう♪」
学校に行く途中後ろから話しかける。
俺に話しかける女子といったら…。
「おはよう、時ノ沢さん」
俺は後ろを振り返りながら言った。
そこには自転車に乗っている時ノ沢さん。
「この道なんだ?」
「あぁ、つっても、さっきの交差点からこの道に合流するだけなんだけどね」
「そうなんだ。いつもこの時間?」
「ん~…、まぁそうかな。でも朝市とかにも寄ってから来るときもあるし…。微妙だな」
「朝市!?」
「どうしたの」
「朝市…」
既に横に並んで走っている時ノ沢さんは険しい顔をしている。
「時ノ沢…さん?」
「朝市は戦場よ!いきるか死ぬかはその人次第!!」
「うん…まぁ」
「弱い物は生きていくことはできない。弱肉強食、栄枯盛衰、盛者必衰の世界」
「たしかに」
はじめは押されていた俺だが次第に掛け合いが成立していく。
「あそこでは、どれだけ人の流れを読み、予測し、いかにして店員に気付かれず数多くレジを回るかが重要」
俺は自前の理論を展開した。
「そうなの…私もそんな感じかしら…でも…重要なことを忘れているわ」
「なんだそれはっ!?」
「ふふふ…秘密」
そんなやり取りをしている間に学校に到着する。
自転車置き場に自転車を置いて俺達は教室に向かった。

「おっす」
渉の声。
「おまえは朝からテンションが高いな」
「いや、お前ほどじゃないけどな」
「おはよう、時ノ沢さん」
いきなり態度を変える奴だと俺は思った。
「おはよう♪」
「今日は一緒に登校?」
「いや、来る途中で出会った」
「そうなのか?」

放課後
「ところでお前は部活に入らないのか?」
「俺?あぁ、前の学校と同じ部活に入ろうと思ったけどなかったらやめた」
「何部だったんだ?」
「映像研究部。ムービー製作ならまかせておけ。基本的にノイズ除去とか修正専門だけどな」
「へぇ~」
「俺のパソコンもそのために自作したパソコンだ」
「凝ってるな。AVIの最高画質、60fpsぐらいでもスムーズに再生できそうだ」
「60fps?甘い甘い。新規格120fpsにももうすぐ対応できる」
「120fps!?」

fps
「frame par Second」の略で、1秒間に何コマの画像を再生させる情報。
テレビは29.97fps、MPEG2(DVD)は30fps、640*480のサイズの場合はAVIは15fpsが標準。
新規格AVIはこの小説の仮想。

「あぁ」
「それってつい最近発表された新規格AVIの標準じゃないのか?」
「俺のパソコンはそこらのパソコンには負けないぜ。まぁ…あの人には負けるだろうけど…」
「あの人?」
「えっ…あぁ、俺の話しだ。気にするな」
「ゲームとかの動きもスムーズなんだろうな」
「当然!はっきり言って動作がモタルという現象をあのパソコンで見たことがない」
「恐ろしいな…」
「見たかったらそのうち見せてやる。ところでお前は何部なんだ?」
「サッカー部」
「部活に参加しているのを見たことがない」
「群れるのが嫌いだからな」
「わかる…それ」
「何の話し?」
「あっ、時ノ沢さん」
反応の早い奴。
「部活の話しをしてたんだ」
俺が代わりに答える。
「へぇ~。ちなみに私は『時空間理論研究部』」
「時空間理論研究部?」
「お前知らないのか?この学校の名物」
「いや…転校してきたばかりだし」
「他の学校にも同じ部活はあるんだけど、この学校の活動が一番レベルが高い」
時空間理論研究部…
そんな部活今まで聞いたことがない。
「へぇ~そうなんだ」
俺は軽く頷く。
「なんでも、先生がすごいらしいからな」
「例えば?」
「国語の担当の割には恐ろしいほどの知識と見解と能力、そして発想力と想像力。見た目に似合わず科学の知識と時空間理論の知識…すごいらしいぞ、とにかく」
「怖いな…それ」
「たしか名前は…」
「名前は、時ノ沢静」
「そうそう」
「時ノ沢…て珍しい名字じゃないのか?」
俺の疑問。
「そうだなそう言えば。時ノ沢さんの知りあいとか?」
「私のお姉ちゃん」
「へぇ~お姉ちゃんなんだ」

……
………
「「!!」」
驚く俺達。
「そんなに驚くことはないと思うけどなぁ…」
「まっ、まぁ…な」
明らかに動揺している渉。
「そう言えば…似てるところもあるといえばある」
「でしょ♪」
なぜそんなに渉が動揺するかわからないけどあえて突っ込まないことにした。
その後「怖い」という単語が聞こえたのはきっと気のせいだろう。

8月43日 (金曜日)

放課後
《さようなら》
クラス全員のたからかな声。
1日の授業が終わる。
「終わった~」
思わず欠伸。
まぁこれが普通だろう。
人間の超えられない壁だ。
…そう言えば明日はバイト…だな。
俺は今日のうちに買出しをすることにした。
バイトの帰りに買ってもいいんだがやっぱり面倒くさい。
「さて、行きますか」
クラスの人に挨拶をされ軽く返しながら俺は教室を出た。
一週間分の買い物を終え俺は家に帰ろうと思ったところでふと思い出す。
そう言えば、足りない部品があったな。
パソコンのケーブルが1本不足していたことに気がつく。
むしろ、昨日切れた。
だいぶ前のケーブルだったからな…。
スピーカーから音がでないのはやっぱり辛い。
メートル19800円ぐらいのステレオケーブルとか欲しいけどな、無理だよな。
仕方がない、980円のOFCコードのおなじみのやつで我慢するか。

メートル19800円
一部音楽のスタジオなどで使われるケーブル(通常はキャノンケーブルというケーブルを使う)。アナログだが、音質のよさは市販品とはけた違い。
音が前に出てくる、音がまろやかになる、音にメリハリがつく、音が太くなるなどさまざまなレビューがある。
ノイズが入りにくい構造になっているのは常識。
メートル3000円ぐらいからの商品ラインナップ。
OFCコード
無酸素銅コードの事。
酸素と結合していない純度の高い銅(99.996%)を使用して、ケーブルの劣化や音質の劣化を防ぐ。
ちなみに作者のパソコンの音周りはすべてこれ。
(サウンドカードでノイズが入っているので無意味なんだが…)
金めっきプラグと組み合わせると比較的安価な値段で高い音質を得られる。

俺はバイト先の『川崎PCショップ』に向かう。
店に入ってケーブル売り場へと向かう。
外から見た感じと違いかなり店は広い。
俺は音周りの製品が陳列されているところに向い、ケーブルを手にとってレジへと向かった。
「よっ、遼一」
レジにいたのは見覚えのある人。
「衛さん、お疲れ様です」
「明日、仕事だったよな?」
「はい」
「いい話があるから絶対来いよ」
「核戦争でも起きない限り来ます」
「その言葉…しかと受け取った」
既にレジを打ち終えていて俺は商品の代金を払うと店を出た。

えっと…ケーブルをつないで…と。
動画処理するんだったら音周りもきちんと処理しろ…って自分に言いたくなる。
だって…貧乏だし。

8月44日 (土曜日)

…眠い。
夜更かししすぎた…。
…バイトあるし…。
早く起きないと………。
ぐぅ~…。

……
………
「やばっ」
気がついたら8:30分。
9:00までに行かないと、給料引かれる~!
『ズビシッ』
「ぐはっ…」
柱の角に足の小指をぶつけた…。
「っ~ぅ」

……
………
「あ゛ぁ~寝癖が~」

……
………
「残り物でもいいから朝ご飯~」
冷蔵庫を開ける。
昨日の買出しのおかげで即席物も結構ある。
もういい、サンドイッチだ。
ハムとパンを取りだし、マヨネーズをかける。
「うしっ」
俺はそれを口にくわえると家を飛び出した。

自転車、自転車。
8:50分
ギリギリかっ!
「負けてたまるかよ」
俺は一気に最高速まで自転車をこぐ。
景色が恐ろしい勢いで後ろへと流れていく。
商店街まではいつもだと10分。
この調子なら7分でつくだろう。
これが、いつもの道ならだけど…。
土曜日といえば、2日連続の朝市の初日。
はっきり言って大混雑。
俺は頭に店までの道のりを描く。
裏通りを通れば間に合うか…。
いつもより2本手前で道を曲がる。
よそう通り!
ほとんど人はいない。
店までは…この道だ!
俺は体を傾け最高速の状態で左へ曲がる。
アウト、イン、アウト。
店の裏側が視界に入る。
ドリフトをいれながら自転車置き場へ駐輪。
『キィィィィーーー!』
『ガチャン』
ブレーキ、スタンドを降ろす。
間に合った。
俺は一気に店の従業員入り口に入った。
「おつかれさま」
衛さんに出迎えられる。
「もう少しで、給料を引けたのに…」
「冗談…はぁ…はぁ…きつい…ですよ店長…」
「さて、さっそく開店準備だ」
既に出勤していた他の人達と共に出店準備をはじめる。
「店長~、『Pia-ring』の最新バージョン、3つお願いします」
何処からか聞こえる叫び声。
OSソフトウェア担当の人だ。
『Pia-ring』とは『Sky-Wing』と同じく有名なOSである。
シェアは『Sky-Wing』より低いが、ネットワーク管理や自由度の高さから研究用やサーバーのOSとして使われる。
「衛さん、メンテナンスの仕事って少ないですよね」
「あぁ…だけどな、たまに来る仕事が恐ろしいんだよ」
「例えば?」
俺は商品を並べながら隣の衛さんに話しかける。
「この間は電源が焼けたとかあったな」
「何があったんですか?」
「たしか…かなり改造が進んでいたパソコンなんだが、電力消費に耐えられなくなったみたいだな」
「すごいですね」
「ちなみに、どうしてメンテナンスの依頼が少ないか教えてあげよう」
「はい」
「上の教室で異常が発生したときの対処法を基本だけでも教えてあるからだよ」
「なるほど…」
「つまり、相談が来るという事はレベルが高い異常の可能性が高いんだよ」
「はぁ…それって、自分の首をしめてません?」
「いや、逆に効果があるんだ。うえの教室にとって…」
「かなり生徒が多いとかですか?」
「1日100人ぐらい来てる筈だ」
「まさかと思いますけど…」
「あぁ、店長が直々に教えてる」
「…あの店長…スーパーマンですか?俺の見る限りつねに店に出てますよね?」
「あぁ。俺もフロアからいなくなるのを滅多に見ない」
「…」
「…」
「「怖っ」」

……
………


「ところで、話しって何ですか?」
俺は昨日の衛さんの話しというのが気になっていた。
「いよいよ…話すときがきた…か」
「もったいぶらず教えてくださいよ。幸いこの休憩室には俺達二人だけですから」
「そうだな…」
そう言うと衛さんは顔を近づけてきた。
「明日…あるイベントがあるんだが…」
「はい」
「お前も来い!」
「いいですけど」
「言ったな」
「へ?」
「それじゃあ、これ」
そう言って衛さんは俺に紙を渡した。
『サークル入場証』
「これって…まさか………」
「あぁ。手伝え!」
『ガーン』
「い、いや…別にいいですけど…いきなりなんで」
「大丈夫だ。俺はお前の仕事に対する態度を見てきた」
まだ3回目ですけど…。
「お前なら俺のサークルの売り子としてふさわしい!」
そう言いながら衛さんは人差し指を俺に向けた。
「こっ…光栄です」
「うむ。明日は店は定休日だ」
「計算…通りなんですね?」
「あぁ。イベントにはサークルの他のメンバーがこれなくて、売り子が不足していたんだ」
「なるほど…」
「ということだ。ところで、詳細だが…」
衛さんが次の言葉を口にしようとしたとき…。
「す、すみません」
あまりにも小さな声。
思わず聞き逃すところだった。
「あっ、あの…兄の国府田衛…いますか?」
「おっ、来たな。ここだよ」
そう言いながら衛さんはドアを開けた少女を呼んだ。
「はい…お兄ちゃん………弁当」
「サンキュー」
「衛さん…この人は?」
「まさみ…っていって、俺の妹だ。この通り人見知りが激しくてな」
「お兄ちゃん…この人………誰?」
「あっ、そうだな。こいつは前橋遼一って言って俺の仕事仲間だ」
「はじめまして…よろしく…まさみちゃん…でいいのかな?」
「どうぞ…私のことは好きに呼んで下さい。前橋…先輩?」
「あぁ。俺のことも好きに読んでいい」
「それでは、失礼しました」
そう言うとまさみちゃんは休憩室から出ていった。
「妹…いたんですね?」
「あぁ。お前…気に入られたみたいだぞ」
「そうなんですか?」
「多分な」
「いや…多分って」
「所で、お前の昼飯は?」
「準備する時間がなかったんです」
「ご愁傷様」
「だからここでつくります」
「ほぉ~」
「料理場かりますね」
「ご自由に」
ここは休憩室兼給湯室になっているから結構本格的な設備が整っている。
「さてと…」
鞄に突っ込んできた本日のネタは…。
ハムと卵…。
もちろん冷蔵庫を借りて保存してある。
それとご飯。
ご飯とお茶は従業員に無料で与えられる。
店長が『冷たいご飯だと仕事に気合が入らない』との方針の下、開業当時から行なっているらしい。
この単純な材料で出来て短時間に完成する物…それはチャーハン。
中国4000年の歴史を感じさせる中華料理の集大成 <妄想。
その豪快にして優雅な調理法は特級厨師でも会得に10年かかるといわれてる。 <妄想
「はぁぁああああ」
俺は気合と共に包丁を手に持つ。
俎板の上に載せられた食材…その名は『ハム』。
金華ハムと称される中国の高級食材………の庶民バージョン。
『カカカカカ』
包丁の動きに合わせて躍動する光。
切ったと動じにフライパンの上に跳んでいく………はずがない。
『ジュー』
既にフライパンの上では卵がいためられている。
俺は極普通に俎板の上のハムをフライパンへといれる。
『ジュー』
「いまだ」
タイミングを見計らってご飯を入れる。
ジャポニカ米特有の粘りつきを適量の油でばらしながら一気に炒めていく。
香ばしい香りが休憩室に広がる。
最後に塩で味を整え完成。
「素晴らしい出来だ」
「手際がいいな」
「一応、1人暮しですから」
「なるほど。そのうち満干全席でも俺に作ってくれ」
「材料さえ用意してくれればいつでもいいですよ」
「それは結構難しいな」

……
………
「ということで、明日は9時に会場前に来ること」
「わかりました」
「即売会セットも忘れるなよ」
「スケッチブックと財布ですね?」
「サークル参加のセットも忘れるな」
「例えば?」
「今回はさっき言ったとおり音楽サークルとして参加する」
「はい」
「お前、MDとかCDプレイヤーとかポータブルで持ってるか?」
「両方ありますけど…」
「ならば、CDプレイヤーとヘッドフォンを持って来い」
「試聴…ですか?」
「その通りだ。あとは俺に任せておけ。お前はディスプレイでも学んでろ」
「了解」

「ということで明日は定休日だ。事故などに遭わないように。労災はおりないからな」
かなり現実的だった。

8月45日 (日曜日)

《ザワザワ》
「うわぁ~さすがに人がいっぱいですね」
「いや、あまりに普通の感想だな」
「一応参加したことはありますよ一般で。サークル入場で入るのは今回がはじめてなんで…」
「まぁ、緊張するな。今日は後1人来るから」
「売り子ですか?」
「あぁ、まさみが来る」
「まさみちゃん?」
「その通り。まだ来てないみたいだけどな。あいつは別の準備があるから会場直前に来る」
「そうなんですか」
「ほら、列が進み始めたぞ」
「あっ、はい」
サークル入場証をスタッフに手渡し、パンフレットを購入。
「こっちだ」
衛さんに先導され俺はスペースへと向かった。
「俺達のサークルはここだ。2スペース取ってるから机は広く使ってもいい」
「わかりました」
「それでは、準備を手伝ってくれ」
「了解」

……
………
「そこ…もうちょっと左」
「この辺ですか?」
「そうだな」
机の上に布を掛ける。
商品を傷つけないというのと、殺風景になるのを防ぐため。
続いて商品を並べていく。
「今回は久しぶりの参加だから新商品が2つ、前の商品で再版の要望が高い商品が4つ。合計6つだ」
「かなり多いですね」
「在庫は新商品が各300枚、再版商品は各100枚、合計1000枚だ」
「!?」
「そんなに驚くな」
「いや…だってかなりの枚数ですよ。いったい何処に…」
「一応、プレス工場から直接搬入をお願いしてるから、そろそろ届く頃だ」
「こんにちは~」
「ほらな」
そう言うと衛さんは声の主の方を向く。
「いつもご苦労様」
「いえいえ、こちらこそいつも有り難う御座います」
「ところで、商品だが」
「はい。ご注文の品、全て持ってきました。しばらくお待ち下さい」
そう言うと男は携帯を取りだしなにやら連絡を取り始めた。
しばらくして、3人の男が台車にダンボールを載せてやってきた。
「納入完了しました。一応ご確認をお願いします」
「わかった」
衛さんはダンボールを開封して開けて行く。
「大丈夫みたいだ」
「ご利用有り難う御座います!」
そう言うと4人の男達は立ち去った。
「今の人は?」
「プレス工場の人達だ。枚数が多いときは直接工場から会場にいれてもらう」
「へぇ~」
「さて、商品も届いたことだし、並べるぞ」
「了解」

……
………
「こんな感じですか?」
「そうだな。さすが手馴れてるな」
「一応前の店でも同じバイトやってて、そこでも時間が開いてる時は店に出てましたから」
「なるほど。まぁ接客は言うまでもないよな」
「大丈夫です」
「それじゃあ、商品について説明する。今回の新作のCDはどちらもギャルゲーの音楽のアレンジ。片方は、ダンス系。もう片方はオーケストラ系を集めた。ほとんどの曲はメンバーが作っているが、ゲストも別のサークルから1人ずつ、『音楽の風』の人と、『音楽堂本舗』の人」
「なるほど」
「再版は昔作ったCDのリクエストの高いものだけをもう一回プレスした。リマスターとは違うから気をつけろ」
「わかりました」
「っと…そろそろだな」
「何が…ですか?」
「まさみが合流する」
「あっ…そういえばそんなこと言ってましたね」
「あの…」
「おっ、来たな」
「おはよう………ございます。前橋先輩」
「あっ、おはよう」
「それじゃあ、さっそくお願いするよ」
「わかった…」
それを聞くとまさみちゃんはどこかへと姿を消した。
「衛さん?まさみちゃんはどこに行ったんですか?」
「ふふふ…そのうちわかる」
「こんにちは~」
「おっと、お久しぶりですね」
「こちらこそ…最近出てなかったのでどうしたかと思ってましたよ」
「ちょっと充電をね。新作、二つ出すからよろしく」
「二つですか?飛ばしてますね~」
「いや、それほどでもないですよ」

「衛さん?今のは?」
「知り合いのサークルのリーダー。開場まであと20分ほどあるが残り時間は挨拶がほとんどだな」
「…」
もしかして…かなり規模…でかい!?

……
………
開場まで残り5分。
「ただいま~♪」
「おっ、来たか!」
俺はその声に反応して前を見た。

誰?
「前橋先輩!今日はよろしくお願いしますね♪」
「どうして俺の名前を…?」
「遼一…こいつは俺の妹のまさみだ」
「まさみちゃん!?」
「そうです。今日1日売り子として頑張ります。よろしくお願いしますね♪」
いや…だって…ねぇ…。
これは変わり過ぎでしょう。
よく見なくても巫女服だし…。
「衛さん…どうして巫女服なんですか?」
俺はあえてまさみちゃんの変わりようには突っ込まず、コスプレについて聞いた。
「今回の新作CDの片方の元ネタが巫女が出てくるやつなんだよ」
「はぁ…」
「だから売り子の服も巫女」
「半分お兄ちゃんの趣味なんだけどね」
「ちなみに、午後からはもう1枚のCDの元ネタが関係するコスプレになる」
「はぁ…」
「さて、もうすぐ開場だ!では………、今日1日よろしくお願いします!!」
「「はい!!」」

……
………
開場2時間後…
「とりあえず、山は過ぎた」
「そうなんですか?」
「あぁ。いままではこのサークルの名前を知っている人たちが大半だ。
 これからは新しいお客さんが来る」
「おそろしい人の数…だったんですけど…」
「まぁいつもより多いかな」
「私もつかれましたよ」
「ははは。まぁそうだろ」
「衛さんところで、まさみちゃんは今まで何回ぐらい参加したんですか?」
「そうだな…サークルとしては今回で11回目ぐらいかな?1年半ぐらい前からだ」
「もう、この雰囲気にもなれました」
「ところで、一応昼だが、どう言う風に休む?遼一は1人でスペースにいるのはきついだろ」
「はい…そうですね。一応初参加ですから」
「わかった。………よし、遼一、お前がまずは昼休みに入れ」
「わかりました」
俺はスペースから出ると再入場のためにパンフレットを持って会場を出た。
スペースに戻ってくると、まさみちゃんの服が変わっていた。
「これは?」
「これは、もう1枚のCDの元ネタのメインヒロインのコスプレです」
「へぇ~。さっきも言ってたけど手作りなんだ」
「はい。でも資料はお兄ちゃんから渡されるよ」
「資料?」
「こんな服装で今回はお願いしたい…って」
「やっぱり衛さんの趣味…だったんだ」
「いえ。私も楽しくやってますから♪」
「そうなんだ」

午後4時
朝の10時からの格闘は終わった。
「それじゃあ、今から打ち上げする」
「打ち上げ…ですか?」
「あぁ。近くのファミレスにすでに予約を入れてある」
「いつもの店とか?」
「その通り。それじゃあ、行くぞ」
衛さんの知り合いのサークルの人達も集まり大盛上りの打ち上げ。
総勢20名ほどか…。
そこでは音楽や属性について語り合う人が集っている。
流石だな。


ふぅ~つかれた…。
結局CDは完売。
次のイベントでの予約も少しだが入っている。
予約は本当の常連にしか知らせていないらしい。
それでも結構な数があったから改めて『Feel at Sound』の規模を知った。
予約分ははじめにとってあるので付き合いの長い常連さんはいつも午後に来るらしい。
今日は色々と知ることと驚く事ががあった。
おつりの計算が速くなったかも…。
そして…一番驚いていることは………、
俺がこっちの世界での生活にすでに溶け込んでいることだった。

初出: 2002年11月1日
更新: 2005年2月5日
原作: 鈴響 雪冬
著作: 鈴響 雪冬
制作: 鈴響 雪冬
Copyright © 2002-2005 Suzuhibiki Yuki

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