恋は盲目。誰かがそう言った。古代ギリシャで恋を司る神、クピードーは目隠しをした状態で、突き刺さると恋に落ちる矢を放つ。その矢は誰に刺さるか分からない。だから、恋は盲目なんだそうだ。何時でもクピードーは誰かをねらっている。何時でもクピードーは無照準だ。
だから、僕は突然の恋に落ちた。
きっかけは単純だった。たった一言…。それだけでよかった。
あれは、そう、放課後。放課後、親と電話していた時のことだ。
「うん。じゃあね」
親との電話を終え、僕は携帯をポケットにしまった。
「誰に電話してたの?」
そう聞いてきたのは、なんだかんだと言って縁が続いている十夏だった。別に毎回同じクラスというわけでもないが、比較的多く顔を合わせる。それ以上に、この学校に前の学校から一緒に進学してきたのは十夏ぐらいだったから、何かと話す機会も多かった。十夏だって自分の友達もいるから、普段はその友達と話していることが多いけど、こうして間を見かけては話す程度の友人だった。
夜を照らす存在が星と月だけになる頃、机の上に両肘を付き、両手の平の上に頭をのせ、窓の外に見える星空を見上げながら、これ以上素晴らしい場所が他にないことに敬意を払うかのように、私は大きく溜め息をついた。そしてまた、あいつのことを思い出す。
好きで好きでどうしようにも出来なくなったあいつのことを…。
男の子っぽいと言われたことがある。
おおよそ好きな人なんて出来るはずがないと思っていた。
それでも、気になる人が出来てしまった…。
こんな気持ちを抱えて二週間。私はただひたすら、あいつのことを考えていた。ううん…もしかしたら、二週間も経てばこんな気持ちが何処かに飛んでいってしまうだろう、そう信じていたのかも知れない。仮にそうだとしても、それは無駄に終わった。なぜなら、その気持ちは、減衰していくどころか、徐々に膨れあがってきているのを、私自身がしっかりと感じ取っているからだ。
告白をしてしまえばどんなにこの気持ちが楽になるだろう。何度もそう考えた。美希の事ばかりを考えてしまって、他の何事にも手に付かなくなる。告白をして砕け散って、落ち込んでいた方が未だましのようにも思えてしまう。それほどまでに、美希の事が好きになってしまった。
人間は考える葦だと言う。現に俺はこうして考えて考えて考えて考えて、他にやらなければいけない事を全て捨ててまで考えている。でも、答えは見つけられない。
友達に相談したら返ってくる答えはただ一つだった。
「告白してしまえば?」
その言葉にまるで真剣みは感じられず、量りに乗せたらマイナスの値を指しそうなほど軽い言葉だった。
彼らにとって、俺の恋の悩みなどどうでもいいのだろう。友人は色恋沙汰には役立たない。昔の文豪もいい言葉を作ったものだとつくづく思う。今度何か相談されても、絶対助言なんてしねーよ。
告白しよう。この答えが出るまで私はどれだけ悩んだんだろう。
昔、食事も喉を通らないという言葉の意味を考えたことがあった。その時は、考え事をしていて食事がおろそかになると言う意味だと思っていた。でも…違っていた。あれは…思い煩って吐き出したい言葉が溢れてきて、喉を塞いでしまうんだ。言いたい事を飲み込みすぎてお腹が一杯になってしまうんだ。
恋は全力でしないと後悔する。なんて無責任なことを言うものだと思う。全力でしているからこそ、こんなに悩むからだ。でも、全力にならなければきっと後悔する。悩むのと後悔するのはどっちが幸せなんだろう、と考えたら、やっぱり悩む方が幸せなんだと思う。悩めるだけ、その人のことを思っている証拠だから。
無の空間に支配されている、そう表現するのが正しいだろうか。昨日可奈美に告白して、その返事が返ってくるまでの時間のことだ。「好きです。付き合ってください」と言う言葉を分解してしまえば、それはそれは他愛のない言葉になってしまう。それなのに、一つの文章にした時、なぜこれほどまでに言うのを躊躇い、緊張し、動揺し、焦ってしまうのだろうか。そして、それを俺は昨日、味わってしまったのだ。
あの瞬間、時が止まった。いや、やはり、無の空間に支配されたのだろう。何もない空っぽな空間。時間も、匂いも、日差しも…俺も彼女も…その全ての物が一瞬にしてその場所から消え去り、意識だけが空間を浮遊していた。そしてその空間は、次に彼女が口を開くまで存在し続けた。
人生であれほど緊張する瞬間は他にあるのだろうか。
from A to Z ――― 最初から最後までの意。
恋の from A to Z ――― 恋の始まりから終わりまでの意。
恋の始まりから終わりまで。されぞこの想いは永遠。5人の主人公と26個の恋物語は最後は何処に辿り着く。
雪待終夜としては『透明という色』に続いて二冊目となる「創作入門誌」です。創作作品を手軽に楽しんで貰う目的で制作しています。2005年の9月から12月までサイトで行った企画、『恋の from A to Z』の冊子版ですが、特別加筆修正などは行っていません。