恋の from A to Z -A~E-

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always
何時も、何時でも、ずっと

 恋は盲目。誰かがそう言った。古代ギリシャで恋を司る神、クピードーは目隠しをした状態で、つき刺さると恋に落ちる矢を放つ。その矢は誰に刺さるか分からない。だから、恋は盲目なんだそうだ。何時でもクピードーは誰かをねらっている。何時でもクピードーは無照準だ。
 だから、僕は突然の恋に落ちた。

 きっかけは単純だった。たった一言…。それだけでよかった。
 あれは、そう、放課後。放課後、親と電話していたときのことだ。

「うん。じゃあね。」
 親との電話を終え、僕は携帯をポケットにしまった。
「誰に電話してたの?」
 そう聞いてきたのはなんだかんだと言って縁が続いている十夏だった。別に毎回同じクラスというわけでもないが、比較的多く顔を合わせる。それ以上に、この学校に前の学校から一緒に進学してきたのは十夏ぐらいだったから、何かと話す機会も多かった。十夏だって自分の友達もいるから、普段はその友達と話していることが多いけど、こうして間を見かけては話す程度の友人だった。
「や、うちのお母さん。」
「ふーん。彼女かと思ったよ。」
「違うって。そんなのいないよ。」
 おおよそ自分に縁のない単語を口走った十夏に対して全力で否定する。
「よかった。」

 そう…。このやりとりが全ての原因だった。いや、もしかしたら素因だったのかも知れない。もしかしたら僕の意識の奥底…手を伸ばしても届かないぐらい深い湖の奥底には、十夏のことをいい人だなと思っている部分があったのかも知れない。それが、たった一言で、水面に顔を出しただけともいえる。
 でも、どんな分析も今の僕には意味をなさない。
 他愛のない会話だと言うことは知っている。何時も通りのやりとりだと言うことは知っている。でも、彼女が発した一言が妙に頭に残って離れなかった。
 よかった。
 それにはどんな意味があるんだろうか。
 彼女がいないと否定した僕の言葉に対して彼女は「よかった」と返した。たったそれだけのことにしか過ぎない。でも、その一言が頭から離れなくなってしまった。十夏は僕に魔法をかけた。僕を混乱させる魔法を。

 ほら、恋は盲目。

breath
息、呼吸、一息、生命

 夜を照らす物が星と月だけになる頃、机の上に両肘を付き、両手の平の上に頭をのせ、窓の外に見える星空を見上げながら、これ以上素晴らしい場所が他にないことに敬意を払うかのように、私は大きく溜息をついた。そしてまた、あいつのことを思い出す。
 好きで好きでどうしようにもなくなったあいつのことを…。

 男の子っぽいと言われたことがある。
 おおよそ好きな人なんて出来るはずがないと思っていた。
 それでも、気になる人が出来てしまった…。

 こんな気持ちを抱えて二週間。私はただひたすら、あいつのことを考えていた。ううん…もしかしたら、二週間も経てばこんな気持ちが、何処かに飛んでいってしまうだろうと信じていたのかも知れない。仮にそうだとしても、それは無駄に終わった。なぜなら、その気持ちは、減衰していくどころか、徐々に膨れあがってきているのを、私自身がしっかりと感じ取っているからだ。
 押しつぶされそう。
 胸をかきむしりたくなるぐらい痛い。
 そんな、表現がぴったりだった。

 教室の隅からあいつの声が聞こえてくる度に、第三の手が胸元を締め付けていく。
 あいつが私に向かって笑いかける度に、目を逸らしてしまいそうになる。
 あいつがはき出す息を同じ教室で吸っていると思う度に、気が狂いそうになる。

 ついこの間まではただの友達。ついこの間からは想い人。
 回り始めた歯車は徐々に加速して、ブレーキをかけても惰性で止まりそうにもない。それどころか、ブレーキが焼き切れてしまって、このままあいつのことを襲ってしまうんじゃないかと考えるほどに、私の気持ちはグルグルと回っていた。

 好きなら告白してしまえばいい。

 でも、もし、断られたら…。そんなことを考えると、私は後一歩を踏み出せなかった。告白した瞬間、きっと私達の関係は今まで通りではなくなる。例え断ったとしても、お互い気まずさが残って、今までと同じように見る事が出来なくなる。そんな気がしていた。

 窓によって切り取られた空を見上げて、もう一度深く息を吐き出した。その息は初めの息とは違って、少しだけ細く長く続けた。

contact
接触、触れあい、付き合い

 告白をしてしまえばどんなにこの気持ちが楽になるだろう。何度もそう考えた。美希の事ばかりを考えてしまって、他の何事にも手に付かなくなる。告白をして砕け散って、落ち込んでいた方が未だましのようにも思えてしまう。それほどまでに、美希の事が好きになってしまった。
 人間は考える葦だと言う。現に俺はこうして考えて考えて考えて考えて、他にやらなければ行けない事を全て捨ててまで考えている。そして、答えは見つけられない。

 友達に相談したら返ってくる答えはただ一つだった。
「告白してしまえば?」
 その言葉にまるで真剣みは感じられず、計に乗せたらマイナスの値を指しそうなほど軽い言葉だった。
 彼らにとって、俺の恋の悩みなどどうでもいいのだろう。友人は色恋沙汰には役立たない。昔の文豪もいい言葉を作ったものだとつくづく思う。今度何か相談されても、絶対助言なんてしねーよ。

 と、友人の事を簡単に割り切る事が出来たとしても、美希の事は割り切る事が出来なかった。振り子のようにゆらゆらと感情が揺れ、花びらを散らして占いたくなるぐらい、何かにすがりたかった。
 でも…どんなに悩んでいても…一つだけ確かなことがあった。一度動き出した振り子を止めるための方法は一つしかない。それは、外力を加えること。つまり、何か事を成し遂げないとその振り子を止めることは出来ないんだ。

 だから俺は、充電スタンドから携帯電話を抜き取った。メモリーから「友人」フォルダを呼び出して、美希の名前に辿り着くと、メール作成をメニューから選択した。
 このメールを送信した瞬間、何かが起こり始める。それはいい方向に傾くかもしれないし、悪い方向に傾くかも知れない。その結果を知っているのは“未来”と言う時間だけだった。

 入力し終えた本文を読み直し、決定ボタンを押すと、その携帯電話は、俺の揺れ動く意志とは反対に、一度のミスもなく基地局と接触を開始した。

distance
距離、道のり、遠距離、時間・身分の隔たり

 告白しよう。この答えが出るまで私はどれだけ悩んだんだろう。

 昔、食事も喉を通らないという言葉の意味を考えたことがあった。その時は、考え事をしていて食事がおろそかになると言う意味だと思っていた。でも…違っていた。あれは…思い煩って吐き出したい言葉があふれてきて、喉を塞いでしまうんだ。言いたいことをのみこみすぎてお腹が一杯になってしまうんだ。

 恋は全力でしないと後悔する、なんて無責任なことを言うものだと思う。全力でしているからこそ、こんなに悩むからだ。でも、全力にならなければきっと後悔する。悩むのと後悔するのはどっちが幸せなんだろう、と考えたら、やっぱり悩む方が幸せなんだと思う。悩めるだけ、その人のことを思っている証拠だから。
 人の生命としての目的が自分の子孫を繁栄させるためなら、人は人を愛するために生きていると私は思う。そして、愛するためにこうして悩んでしまう。悩んで、悩んで…体調を崩して、ニキビを作って、好きな人に見せられない顔になりながらも悩んで悩んで…。そうして、自分の恋愛を探していくんだ。

 そして私は、一つの恋を見つけた。何時しか自分の中に芽吹いていた“恋”と言う花を。

 時計を見たら既に約束の時間が迫っていた。徹夜してしまって正直顔はあまり綺麗じゃないし、目の下にクマだってできている。でも、今日は彼に告白するって決めたから…。

 玄関のドアを開くと、光が舞い降りて私の足下を照らした。勢いよく「行ってきます」を玄関に放り投げ、私は外に飛び出した。

 公園に着くと彼は先に来ていて、ベンチに腰掛けていた。
「おはよう。」
「お、おはよう。」
 先に言われて、驚いて、少しだけどもって、私は彼に言葉を返した。
「で、どうしたんだ、急に。」
 そう言いながら首をかしげた雅聡君は何時もと全く変わっていなかった。普通、こんな日に呼び出したら、嫌でも気がつきそうなんだけど…。でも、そんなすこしだけずれているところが好きだった。
「えっとね…。」
 お腹の中に一杯溜め込んだ吐き出したい言葉。その中から私は一つだけを選び出した。
 大きく深呼吸して、雅聡君を見つめ直す。

 たった一言。その一言を言うために必要な寸刻が、普段過ごす日常とは比べものにならないほど果てしなく長く感じた。

empire
帝国、(皇帝の)主権、統治、支配、領土

 無の空間に支配されている、そう表現するのが正しいだろうか。昨日彼女に告白して、その返事が返ってくるまでの時間のことだ。「好きです。付き合ってください」と言う言葉を分解してしまえば、それはそれは他愛のない言葉になってしまう。それなのに、一つの文章にしたとき、なぜこれほどまでに言うのを躊躇い、緊張し、動揺し、焦ってしまうのだろうか。そして、それを俺は昨日、味わってしまったのだ。
 あの瞬間、時が止まった。いや、やはり、無の空間に支配されたのだろう。何もない空っぽな空間。時間も、匂いも、日差しも…俺も彼女も…その全ての物が一瞬にしてその場所から消え去り、意識だけが空間を浮遊していた。そしてその空間は、次に彼女が口を開くまで存在し続けた。

 人生であれほど緊張する瞬間は他にあるのだろうか。

 次の日曜日にデートをすると決まったその日、俺は何時も眺めて通るだけのカジュアルショップで新しい服を買った。店の人にデートをすると言うことを伝えて、選んで貰った服を買った。
 似合っているかどうかは分からなかった。けど、人に選んで貰ったと言うだけで、俺の心を支えてくれるには十分な存在だった。

 待ち合わせ場所である駅前の時計の下に行くと、淡いグリーンのワンピースに白色のハンドバックという装いだった。時より吹き付ける柔らかな風に、長い髪の毛の先が敏感に反応していた。しばらく遠くから見つめていたいと思っていた。けど、それはもう過去の話。今は堂々と彼女の横を歩くことが出来る。
「ごめん。待った?」
「ううん。私も今来たところだよ。」
 とは言うものの、彼女のおでこにはうっすらと汗が滲んでいた。
「………とりあえず、歩こうか。」
「うん。」
 小さくはにかんだ彼女を見て俺は気が狂いそうになった。暑さのせい、と言うことは分かっているけど、うっすらと赤みを帯びた頬が、少しだけ目を細めた表情と見事な調和を見せて、それが狂おしいほど可愛らしくて、俺は彼女に心を奪われた。
 そんな自分の心を悟られないようにと少しだけ目を伏せ、十数年前のロボットのようにぎこちなく差しだした右手を、柔らかい彼女の指が包み込んだ。それは丁度、春の日溜まりのような柔らかさだった。

初出: 2005年10月9日
更新: 2005年10月16日
著作: 鈴響 雪冬
Copyright © 2005 Suzuhibiki Yuki

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